元朝日新聞記者が古巣をなんとか擁護しようとしているようで


朝日誤報騒動の背後に読者不在の社内派閥抗争 「吉田調書」続報を社会部系幹部が潰す - エキサイトニュース(1/3)

 

この記事を書いた人の心境を思うと痛ましいものがありますが、記事そのものはひどいですねえ。

 

まず、朝日新聞社内の派閥抗争なんか興味ないし、それが誤報にどう影響したかは、社内の人は興味があるだろうけど、読者にとってはどうでもいいこと。「で、どうするの?」という話でしかありませんね。

 

また、この井上久雄という方は、かねて吉田調書の誤報を「大した誤報ではない」という風に評価しています。今回の記事でも、「今回の対応を見ていると、『立小便で死刑宣告している』に等しい」とし、吉田調書の誤報を軽犯罪程度のこととしています。

(※引き合いに出している従軍慰安婦の件についても「従軍慰安婦検証報道で記事の一部に間違いがあることを認めた」などと書いていて、「一部に間違い」があった些細な問題だ、という誘導をしようとしていますね。一連の記事の発端になった吉田証言を全面的に撤回したし、撤回にいたるまで32年もかかったのだから、「一部に間違い」の些細な誤報なんかじゃないんですけども)

 

いや、ほんと、この間違いは、そんなに軽い話じゃないですよ、と言いたいです。

 

井上氏は「原子力発電所が想定外の大きな事故や災害に見舞われると、作業に慣れた電力会社の社員の手でも制御不能となること」を示すのが大事だった のだ、と言うけど、吉田所長はじめ現場の皆さんが最後の最後まで頑張ったおかげで、(チェルノブイリのような)致命的な破局は回避した、という評価だってできます。

 

では、どう評価するのが妥当なのか?というときに、 「命令違反して9割が逃げた」と、「必須でない人員を安全な場所に退避させた。退避は指示したが、退避先についていき違いがあった」では、全然話が違ってきます。ですから、これを些細な間違いと言ってしまったら、新聞の意義なんかないと言ってるに等しいです。創作を紙面に載せて、自身の考えを読者に押し付ければよろしい。

 

井上氏は盛んに、「国民的な議論を喚起し、原発再稼働の是非を問うことにあった」として、些細な間違いはどうでもいい、議論を喚起したので朝日新聞は良い新聞だ、と言います。

 

しかし、議論の前提になる事実が間違っていたら、結論を間違う可能性が高くなってしまうでしょう。

 

「大きな正義」のためには、「小さな事実誤認」に目くじらを立てるべきではない、という態度が非常に不快な記事です。井上氏は自分の信じる「大きな正義」を振りかざして、世の中を啓蒙していきたいと思っているようです。でも、少なくとも僕は井上氏の正義を唯一の正義とは思えません。こうい独善は、時代錯誤だと思うのです。

 

複雑な社会の、細かな事実を軽視するのは、記者としてどうなんでしょうね。井上氏の記者としての姿勢に疑問を感じるところです。