婚活って言葉に違和感がある理由

http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/090729/sty0907291132004-n1.htm

まず、就職活動を就活って略すのに違和感を感じるのと似ているわな。人生かかってる活動を省略するってどんだけ不真面目なんだってぇ話です。

でもって、就活と婚活って言葉なんだけど、もう一つニュアンスが似てるところがある。なんとなれば、「活動が成功したら人生買ったも同然」というニュアンス。
就職して、実際に働いてみればすぐ気付くんだけど、就活なんざ人生の始まりの始まりに過ぎないよね。半年持たずに辞めて、人生探しにどっか行っちゃう奴までいるような、本当の始まり。通過点といってもいい。
10年働いてきてさ、何社か転職で渡り歩いて、大きい会社小さい会社、いい会社悪い会社、成長してる会社停滞している会社、いろいろ観たり体験したりしてみれば、「新卒でどこに就職するか」なんて、実は大した問題じゃないって気がどんどんしてくるわけですよ。どんな会社でも、真面目に働いて勉強してる奴、あるいはもともと能力がある奴、はたまたチャンスを生かそうとしてる奴なら、今はどうあれ何年かすると全然変わっていたりする(※ただし正社員に限る、というところが今の社会・経済の残念なところだけど)。
「就活頑張ったので、大企業に就職できました、ワーイワーイ」って喜んでる奴は、長い職業生活の中で受け取れる、生涯賃金を今実際に手に入れた気分になって喜んでるようなものだ。実際にその通り受け取れるか分からないものなのに。

長いフリになったけど、婚活だ婚活だって騒いでる人も、「良い条件の人と結婚が決まった」瞬間に、人生の幸福全部を受け取った気になってるんじゃないか。
人生こそ、紆余曲折、いいこと悪いこと、いろいろあるものじゃん。今の(旦那の・結婚の)条件が、そのまま人生の価値を決める、と思うのは、大いに間違った想定だと思う次第です。