バクマン。とDEATH NOTEと三田紀房

バクマン。は、奥さんともども好きで、単行本が出るたびに読んでます。

DEATH NOTEは、以前、マンガ喫茶で斜め読みしました。でも、最後までは読まなかったかな。

で、三田紀房は、ドラマ化された頃にちょっと立ち読みしてました。

この3者に通じるのは、「ゲームのルールを知れ」「ゲームのルールの中で最も良い戦略を立てて、効率的に戦え」「既存の道徳とか倫理とかにこだわっちゃダメだ」というメッセージじゃないかと思いました。

ただ、DEATH NOTEの場合、ゲームのルールを知っていたのはライトだけで、「そのルールを探り当てる」までがゲームになっている部分がありました。ルールが分からなければ死ぬ、という緊張感が異様なドラマを作り出してました。

また、バクマン。では、「少年たちの成長物語」という面があるため、戦略は徐々に学ばれていくもの、という面があります(編集の服部さんや、福田氏のように、あらかじめ戦略を知ってるキャラもいますけど)。戦略通りにやってもうまくいかない、基本的に、天才にはかなわない、という、理不尽な点も描いている点で、ドラマチックでもありますね。

その点、三田紀房はダメだなあ。なんか、「常勝の戦略を模した小さな箱庭」を、魅力の少ないキャラクターがウロウロしてる感じが否めない。長谷川なにがしとか、大前なにがしとか、ビジネス書の著者みたいな臭いがしてしまいます。早晩飽きられるだろうねえ。一応定番化して、一定の読者は集めるんでしょうけど、「いつか卒業するもの」ですよね。