行き止まり感

この間、子どもと一緒に、『三鷹の森ジブリ美術館』に行ってきたんですよ。その感想を書いてみようと思うのです。
まず、基本的に楽しく過ごした、昼ごはんがそこそこの値段で値段なりにおいしかった、ということは、はっきり言っておきましょうか。

楽しかったんですが、そこで感じたのが「この先は行き止まりだ」という予感なんです。
美術館には、ジブリのこだわり(宮崎駿監督のか、鈴木プロデューサーのか、宮崎吾朗監督(元館長)のかは分かりませんが)が随所に見られました。しかし、そのこだわりのためか、なんというか、「次」が無いんですよね。一人か二人か三人か、少ない人間の脳内にある、限定された空想の世界、思考の世界、妄想の世界にいる感じ。
たとえば、作品を例にとって言うと、ポルコ・ロッソのいる世界では、大きな世界大戦があったはずなんだけど、物語の中でその部分は「昔の話」として小さく収縮されてるでしょ。話の大半を占める映像は、エアレースの会場くらいの範囲に限定されるじゃないですか?そんな感じ。
あるいは、ジブリ作品にしばしば垣間見える懐古趣味の感じ、とも言えるかもしれません。懐古趣味は、昔を懐かしんで、今を生きるわずらわしさからひと時逃れ出る喜びです。ために「過去に学んで現在に生かし、未来につなげる」という前向きさに欠けることがあります。これを懐古趣味の弱点というなら、ジブリ美術館では、その弱点が目に付くんですよね。

端的だったのが「写真撮影をお断りする」という趣旨の、看板でした。宮崎駿監督名義でかかげられた文言は、「作品世界を味わって、心にその世界を作り上げて帰ってください」というようなものでした。「俺の頃、カメラは高級品だった、でも毎日の体験が輝いていた」ってなもんでしょうが・・・。
いや、なんでそんなふうに「体験の方法」を限定するの?ほんの数時間の滞在で、そんなに明晰に作品世界を心の中に構成できるもんではないじゃん。ネコバスにたわむれかかるわが子の写真を撮って、家で振り返れたら、けっこうハッピーなんでないの?それこそ、作品世界を体験する一つの助けになるんでないの?

もうひとつ端的だったのが、アニメ映画製作の様子を再現した展示です。
いまや、ジブリでもコンピュータを使った着色や編集が普通なはずなのに、「昔の、手書き・手塗りの時代の様子」を展示してるんですよ。ジブリの懐古趣味がもろに前に出てる展示だと思いましたね。昔の現場の熱気というか、若いころの自分の仕事ぶりというか、そういうものに懐かしさとか喜びとか情熱とかを見てるのかもしれない、見せたいのかもしれないけど、アレを見て「よし、僕もアニメ制作を仕事にしてみよう!」と思う子どもはいないんじゃない?
今は、家庭で買える値段のコンピュータを使ってアニメ制作をすることが可能な時代なのだから、今の時代のアニメ制作の新たな可能性について示してみせたほうがいいんでないの?それが業界トップのスタジオの責任なんではないの?なんて思ってしまいました。

まあ、あれこれ言い連ねてしまったけれども、結局あそこは「美術館」ということなので、アミューズメントを充実させる必要も、産業を支援する必要も無いんですよね。まあ、好きにやってくださいよ、という結論になってしまいます。