『美味しんぼ』擁護のパターンの整理

パターン1:悪魔の証明を求めるケース。

「でも、『Aではない』は科学的に証明されていないんでしょう?」

 

『Aではない』の部分は、「鼻血が出ている人が沢山いるわけではない」でもいいし、「ひんぱんに鼻血が出る人がいるが、それは放射性物質のせいでない」でもいい。

 

「無い」ことを証明することはできないので、そもそも論じるに値しないんですよね。こういうことをいい年したオジサンが言っているのを見ると悲しくなります。

簡単な話で、「お前は犯罪者だ」と警察が言うとき、まずなんといっても犯罪があることを証明する責任は警察にあるわけで。「お前が犯罪者でないことを証明しろ」と、警察があなたに言ってきたら困るわけでね。

 

でもって、市、福島県、国、ボランティアの方々が、いろんな工夫をして、事故後から、疫学的な調査をした・しているわけです。その上で「そんな事実は見つかってない」と言っているのです。

私は、これをもって「十分に科学的に説明されている」と言っていいと思います。証明じゃないですけどね。

 

 

パターン2:科学技術コミュニケーションの話にするケース。

「問題は、不安に思っている人が多いということ。科学的に正しいかどうかは、生活者にとってあまり重要ではない」

 

市や国、様々な研究機関、医療機関、ボランティアが、たくさんの調査をし、その結果を報告しています。一般的な知識を普及させようと、科学雑誌が特集を組んだり、別冊を発行したりもしています。そういう地道で誠実な科学技術コミュニケーションの努力をやってるんですよね。

それを、マンガ雑誌という普及しやすいメディアで、簡単に覆し、まっとうな批判を無視して連載を継続し、反論を掲載する余地も残さない、という時点で、問題は出版社側にあると思います。科学技術側のコミュニケーション能力の問題に期するのはおかしいと思います。

 

 

パターン3:批判を、「表現の自由」への脅威ととらえるケース。

「これを機に、表現の自由が侵害されるようになるのがこわい」

 

市や県、国が「おかしなデータ、主張だ」と批判するのは表現の自由の侵害ではないでしょう。「黙れ」「発行停止」とやったら侵害ですけどね。

「反論を掲載させろ」と求めるのも、表現の自由の侵害ではないと思います(※スピリッツ側でどうするか、経営判断をするのももちろん自由)。

「スピリッツはもう買わない」と一般の読者がいうのも、表現の自由の侵害ではありますまい。

はっきりいってこの手の主張は、羹に懲りてなますを吹く、というか、杞憂のたぐいです。逆に、「批判するな」というほうが表現の自由に対する侵害でしょうにねえ。

 

 

パターン4:表現者は神。神に読者がモノを言うのはおかしい

ま、あるお笑い芸人の方のことですね。

 

論外すぎて言葉に詰まりました。表に出せば、誰の仕事であれ批判の眼にさらされるものでしょう。批判されたくなければ(神でいたければ)世に出さなければよろしい。なんかすごい残念に思いました。