『ETV特集 わがまちに医師を』まとめ

(内容のまとめ(記憶をたよりに書いているので、抜け・漏れ・勘違い有り))

戦後、社会保障制度における大・革新的な出来事として、国民皆保険制度が導入された。

貧富の差によらず、国民誰でも医療を受けられるようにしよう、という制度。イギリスの制度(「ゆりかごから墓場まで」)を範にとり、実現した。

ここで、保険料を全国民が負担する一方、医師の配置方法が問題になった。

官僚(厚生官僚)は、やはりイギリスの制度を模範に、国による各地方への配分をしようとした。

これに反対したのが日本医師会。「プロフェッショナル・フリーダム」という標語のもと、医師の開業の自由を求めた。医師会は自民党に対して政治力を発揮して、開業の自由を得るとともに、開業する医師への融資制度を作ることにも成功する。

医師の中には、地域に高度な医療を、と考え、一代で大病院をなす者も現れた(第15代の日本医師会会長など)。しかし、地方の医師は不足がちであった。

そこで官僚は、医師の数そのものを増やすことで、全体として数が足りるようにしようと考え、各県に医科大学を設置する。狙い通りに医師は20年で1.5倍にも増えたが、地方の医師不足に大きなインパクトは無かった。大学に残る、大学で研究する、という志向の医師が増えたからであった。

地方の病院などへの医師の配分は、大学の医局制度が司っていた。教授を頂点にしたピラミッド型の組織で、ここから医師が各地の病院に配属されていたのである。

この医局制度を揺るがしたのは、インターン制度への抗議である。インターン制度は、理念としては総合医を育成することが目的の、優れた仕組みであったが、実際には安価で使い潰す医療労働力の供給源となっていた。折しも大学で学生運動が巻き起こっており、その中でインターン制度は学生たちの強い反抗にあったのであった。

インターン制度が無くなった結果、医師の専門家が進む。インターン制度のあった頃は、眼科の医師であっても内科の基礎は身につけており、夜勤ともなれば内科も外科も一次診療はしたのであったが、もはやそれをしないのである。

地方病院の医師不足はどうにも緩和しない。

1970年代以降、高度成長期の終わりになると、今度は医療費の財政負担の大きさが問題になりはじめる。医療費亡国論が言われるようになる。

医療費を削減するため、官僚は今度は医師を削減する方向へ舵を取る。医科大学の定員を削減していくのである。これで、地方の医師不足はさらに加速した。

また、各地域について、病院の病床数を制限する制度を打ち出す。病院が多い土地にはこれ以上病院が作られないようにし、それでも病院を作る意思があるものは、病院が少ない土地に病院を作るようになるだろう、と考えた制度である。しかし実際は医療過疎地に病院が増える・医師が増えることは無かった。制度施行前の駆け込み増床もあり、かえって医療の偏りは強化されたのである。

時を前後して、インターン制度は復活する。総合的な診察能力を持つ医師、「家庭医」が、医療費抑制の鍵になると考えられたからである。

今度のインターン制度は、安価な労働力供給減になることが無いよう、工夫された。全国どの大学でも、インターンとなって学べるようにしたのである。

新しいインターン制度は、医師の育成には役立ったが、医局制度の人材配置機能を損なう結果をもたらした。学生がよその土地に出ていってしまったのであった。

今、地方病院は医師不足が決定的になっている。かつて日本医師会の会長をつとめた医師の子は、病院長として、医師の配置について国家の介入を求める陳情を行っている。

今回の震災で、緊急の支援のために、多数の医師が医療過疎地である東北にやってきた。結果として、地方の医療に身を捧げよう、と考える医師も現れてきた。これは一つの救いであるが、根本的な対策はまだ必要である。