当たり前の話だけど、優秀な人がすべての分野で優秀なわけではなく、

当たり前の話だけど、優秀な人がすべての分野で優秀なわけではなく、情報に敏い人がすべての分野について知悉しているわけでもない、ということに気づいて、ちょっと安心しました。ちょっとでも調べたことがあれば、そんなこと信じるか?というような、俗論を信じていたり、大した根拠も無く正論を否定していたりして。

たとえば、「なんで年度末に道路工事してんだよ!ほんとにそれいるのかよ!」みたいなことを平気で言う。いや道路のメンテナンスしないとえらいことになるんですよ?韓国とかメンテナンスをいい加減にしているところ行くと痛感させられますよ?

インフラのメンテナンスがすごく重要だってことは、『朽ちるインフラ』という本を読むとよくわかります。インフラが傷んでしまうと、もとが公共事業だけに、公共事業でメンテナンスしていくことになる。これを怠ると、コミュニティが使える資源が失われる。

こういう観点を1回でも持つと、先にあった高速道路のトンネルの天井崩落の事故のニュースを見ても、「道路工事って大事だな」と考えることができる。そんなわけで、多少の混雑にいちいち怒らなくなるわけなのです。

あるいは、「あの党もダメ。こっちの党もダメ。どこに投票すればいいんだよ」とか。いや、その嘆きは分かるけど、それでも「よりもマシ」なところを選ばないといけないんですよ。「よりもマシ」が選べないなら、自分で立つなり、話が通じそうなところに働きかけて、「よりもマシ」を作るのが、大人ってもんでしょうよ。ひとまず民主主義よりもマシな制度が無さそうな以上、なんとか判断したらいいんじゃないでしょうか。

 

短期間に、IT関連で優秀な人に立て続けに会って、すごくへこたれていたのだけど、彼ら・彼女らは多くのリソースをそっちに投入しているから優秀なのであって、他の分野についてもすべて優秀というわけではないんですよね。

「全面的に優秀な人がいて、その人に決断を丸投げできたらいいのに」という、自分の依存心を自覚したり、

「ああ、彼もこの面では大したことないな」という、自分の嫉妬心とちっぽけな自尊心を自覚したり、

「そりゃあ世の中いろいろ議論が出るわな」という、感想を持ったり、しました。