科学と特許と名誉と

小保方さんの研究に再現性が無い、ねつ造ではないか、という見解が出ているとか。

対して、「あれはiPSのときに特許がらみで揉めたので、肝心かなめのノウハウを論文に載せていないからだ」という見解が出てきて。

「ははあ、特許かあ、そんなもんかもね」と思いました。いずれにせよ、私は直接評価が出来る能力を持たないので、小保方さん含め専門家の仕事を待つほか無いわけですから。

 

しかし、考えてみれば、「科学」を「科学」たらしめ、「宗教」や「迷信」、「俗説」と隔絶させるのは、「再現性」なんですよね。「ははあ、そんなもんかね」で済ませてはいけないような気がしてきました。

特許が巨大な利益を生むからこそ、科学的研究に多額の投資をする企業や国家が生まれる、という説明があるんですが、この場合、特許の仕組みの存在が、科学の発展(科学的新知識の、発見者以外による確認)を阻害していませんかね?「再現性」という科学の根本を揺るがせてしまってない?そんな気がしたのです。

 

そんな気がした瞬間、ふと思い出したのが、ポアンカレ予想を解決したペレルマン氏の件です。

氏は、その仕事に対する評価、与えられる名誉の分け前について、あまりに政治的な動きがあったのに嫌気がさして、フィールズ賞クレイ数学研究所の賞金を辞退しました。そして隠棲してしまったと聞きます(本当のところを本人が語ったわけではないようなので、あれこれ言うのは控えたほうが良さそうですが)。

偉大な発見を賞揚するのは当たり前のことで、大変良いことだと思いますが、あまりにその名誉が巨大になると、簡単に一人の人間の人生を狂わせてしまうのでしょう。私には直接関係ありませんが、科学の発展が私や家族の生活を豊かにしていくのは分かり切っているので、実に残念に思います。

 

科学と特許と名誉と。科学の「再現性」や「有用性」が社会にとって大きなものになったことで、社会の中における科学の位置づけが大きく変わっている、ということを考えないではおれません。